加藤先生について考える ~言語習得とは~

住み込み生活を始めてから、「あ、自分は意外とフランス語話せるかもしれない!」と少し希望をもっていたけど、決してそんなことはなく。

毎日自分の考えていることを綴っていたので、そのまま載せてみようかと思う。


今まで、周りには一年間交換留学に行っていた友人がいたけど、彼らの口から「すごいしんどかった」という類の言葉を私は聞かなかった。それは単純に、家族やもっと親密な友人には言っていたかもしれないという、ただそれだけのことなのかもしれないけど、そういう壁にぶち当たった時に、みんなはどうしていたんだろう?どうやって乗り越えたんだろう?


私は自分の考えていることを人にも知ってほしいという思いが多分強くて、ブログを書くに至っている(のかもしれない)けど、みんな同じ壁を乗り越えてきたんだろうか?


※ちなみに、タイトルの「加藤先生」は、私が高校の時のフランス語の先生。非常勤講師で、多分週に1~2回くらいしか会ってなかったけど、とにかく印象の強い先生だった。
ちょっと変わってて(そういう先生いるよねって感じの先生)、でも彼のフランス語はフランス人のフランス語だった(日本人訛りのない綺麗な発音だった)。

あんまりきっちりとした経歴は聞いたことがないけども、確かフランス語がほとんど?話せない状態で若いころフランスの学校に通っていたと聞いた覚えがある。詳しくは定かではないけど、努力の人だということは確か。


(2016年5月9日)

はてさて。話すのにうんざりしてきた。
作業しながら、加藤先生のことについて考えてた。

フランス語が全くしゃべれない状態でフランスに行って、学校に通って、今はぺらぺら。でも、ペラペラになるまで、どれくらいの時間がかかったんだろう?


たった一週間でさえこんなにイライラしてる。

ワーホリで言語を習得するのをあきらめる人はたくさんいる(みんなパリの日本料理屋さんで働いて、集まってしまう)。


気持ちは痛いほどわかる。


しかも、加藤先生は基礎もわかんないままゼロからスタートしたはず。
どんな精神の持ち主なんだろう?


今でこそ、先生とまた会ってみたい。話してみたい。


どれだけ彼は耐えただろう。

どれだけ彼は泣いただろう。

どれだけ彼は見えないところで努力を重ねただろう。

どれだけ彼は逃げようとして、でも踏ん張ったのだろう。


ネットも普及していない時代の中で、彼はいったいどんな生活を送っていたのか。
彼を支えたのは何だったのか?人?決意?愛?目標?後悔?恐怖?


今こうしてここにいて、彼をすごく尊敬する。


加藤先生に会いたいなあああああ。



私が帰国したら、私はもっと寛容な人間になれるだろうか。なっているだろうか。

もっと性格は丸くなっているだろうか。


私は、加藤先生のように、私を乗り越えるまで頑張れるだろうか。

私の枠を、超えられるだろうか。


と、こんなことを書いていた。もう一昨日の話。時が経つのは本当に早い。


こうして民泊農家さんのところに住んでいると、いろんな人が泊りに来る。そしてそのほとんどの人が、最低3言語は話せちゃうのだ。
フランス語・ドイツ語・英語。基本的にはみんな話せる。そこに、人によってはスイスの地方の言葉とか、スペイン語とか、イタリア語とか。それが当たり前の世界。


そして、その中で非常に日本人というのは不利な立場にいる(と思ってしまう)。


・最低限できてほしいはずの英語ができない(簡単な英語は理解できても、スピードについていけない。ただ、話せる人はもちろんいるのでこれは何とも言えない)

・単語や文法が似ても似つかない(単語を聞いて想像したり、自分の言語から予想したりできない)

・見た目で、「話せなさそう」と思われている(これは結構あって、フランス語が話せなさそうに見えるために、どの言語で話しかけばいいの?と思われているらしい)


できない理由をあげたところでどうにもならないのは分かっているけど、誰しも長期間海外に住んでいればマイナスなことも考えてしまう(少なくとも私は)。日本語が話せたらいいのに!って。それか、日本語みたいにフランス語(英語)が話せればいいのにって。


一度ネガティブになった後、みんなはどうやって乗り越えていったのかな?

日々学ぶべきことがある。日々考えさせられることがある。日々自分の中の自分を見る。



Vive le WWOOFing! フランスワーホリログ

2016年4月〜2017年2月まで、フランスwwoofの旅。オーガニック農業、人との出会い、生き方と自分自身の発見、食文化と健康、言語に今は関心あり。「自分がよく"有る"」ために大切なこと、「どんな生き方をしたいのか」を考え中...!

0コメント

  • 1000 / 1000