10月〜11月、今までと非にならないほどたくさんの出会いがあった。
wwoofだけではなく、高校の日本語の授業を見学させてもらったり、ミュージックフェスのボランティアに参加させてもらったり、合唱のワークショップに参加したり。
パリを出てから、自分でもびっくりするくらいにいろんな人のお家にお世話になり、そのひとりひとりの暮らし方や哲学、考え方、生き方を目の当たりにしている。
フランスに来てから、自分の中で数え切れないほど変化があった。うまく言葉にできないけど、一度書いてみようと思う。
ざっくり言うのだとすれば。
「自分の人生にとって"本当に"大切なものは何か」という質問に向き合っているというか。
日本にいた時は考えていなかった。ただ将来どんなことをやりたいかなとか、こんな仕事をしてみたいとか、旅行をたくさんしたいとか、「やってみたいこと」は山ほど考えた。
でも本当は、「やってみたいこと=大切なこと"ではないこともある"」のだということを知った。
日本にいた時の自分の視野はすごく狭くて、選択肢も限られていて(自分で勝手に狭めていただけ)、いつも目の前にあるもの、今日明日の状況に反応する、そんなギリギリの毎日だった。
でも、本当はそんなことに価値はないのかもしれないと今は思う。
つまり。今までは、"東京に住んでいて、岩手出身の、大学生である自分"がどうしたらいいのか、という感覚で物事を決めていた。
自分が今いる状況や、立場を、物事を判断するときの基準や条件にしていた⚫⚫⚫《今となっては、そんなことはまったく意味をなさないということも知った。なぜなら、フランスで人と出会う時に、ほとんどの人が大学なんて気にしないし(何を勉強しているか、は大事)、岩手とか知らないし、何歳なのかも別にそんなに大事じゃない。
大事なのは、私がどういう人間なのかということだけ。どんなことをしたいのか、何を目指しているのか、今何をしているのか。その他の細かな条件は、日本の中でしか機能しない》
その条件(大学生の私、20代の私)に応じて、大切なものは変わる。大学生ならサークルだって大切だし、授業はもちろん大切だし、バイトも大切だし、20代なら運動も大切。遊びも大切、色恋も大切。
「ある一定の条件下にいる私」にとって大切なものは、たくさんあって、その条件が変わるごとに、大切なものも変わる。
そうやってしてきた決断を、後悔したこともあった。「別にそんなに大切なことでもなかったじゃん...」「あの時こうしてれば、今こんなことができたはずなのになあ」と、昔の自分の価値観と今の自分の価値観のズレが大きくなるほどに、周りの友人や先輩後輩のしていることを何度も羨ましく思った。「私もあんなふうに将来に直結できる決断をすべきだったのに、いいなあ」「どうしてあの子は必要なことだけを上手く選択して将来につなげられるんだろう」と。
その友人たちがどうやって生きているか、どういうものの考え方をしているか、は結局のところわからないけれど(人の心は読めないから)、今単純に「日本」という枠を飛び出してみて分かってきたことがある。
それは、"自分"がどういう"生き方"をしたいのか、を考えてみるべきだということ。
"自分"というのは、形容詞のないただの一人の人間として。日本人の、大学生の、フランス語を勉強してる、岩手出身の、姉がいる、、、自分ではなくて、今生きている自分という生き物のこと。
"生き方"というのは、一言で言ってしまえば幸せの定義なのかもしれないと今は思っている。私が幸せでいるためにどんな生き方をしたいのか。どんなことが私の幸せなのか。
それを考えるようになってから、今までの自分の選択、決断の仕方は、ガッチガチに凝り固まったものだったなと思うようになった。
そして今何か決めようとした時には、悩むことがかなり少なくなった。
自分の軸がはっきりしたからだ。
ある講義の中で、「就職先を選ぶ時は、30代の自分がどうなっていたいかをイメージして選ぶといい」という話を聞いたことがある。
そのときはなるほど〜と思ったのだけど、今となっては仕事を選ぶ基準にできないなと思う。
だって、30代の自分がなりたい姿に合わせて仕事を選んだら、そのあとなりたい姿はどうなるんだろう。
そして60代になってその仕事を退職したら、私には何が残るんだろう。
人生は仕事だけじゃない。
自分が幸せでいるためにどんなことが自分にとって大切なのか、それを考えたら、それまで考えていた仕事の候補がガラリと変わった。
いつか変わりうる条件で物事を決めるよりも、人生を通して変わらない条件で物事を決めることができたら、きっと自分は本当に大切なことを大切にすることができる。
そんなことを考えて、今は自分が人生を通して大切にしたいものは何なんだろうと考えている。
10月にお世話になった家族の一人が、いつもおはようと言う代わりにこう言っていた。
「Hitomi, la vie est belle? 」
英語だと、The life is beautiful?、人生は美しい?という直訳になる。
日本語だとぎこちないけれど、響き的には、「今日も輝いてる?」みたいな感じになる(個人的に)。
自分の人生に向き合う生き方をしつつある今、私は彼のこの問いにYesと答えたい。
もちろん時にそうじゃなく思うこともあるけれど、私は今、自分の人生を生きているんだという実感を心から持っている。その時々の細かい条件で自分を定義したり、物事を判断したりすることなく、人生単位で私は自分を定義し、本当に大切なものを選択することが増えた。
この考え方が良いのか悪いのかなんて全くわからないけど、少なくとも前の自分が感じていた"息苦しさ"はかなり減った。
日に日に自分自身の考え方は変わっていくけれど、とりあえず今私はこんなことを考えながら生きています。
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